沖縄戦での朝鮮人強制動員  ―動員数・死亡者数・遺骨―

                             

 

ここでは、沖縄戦での朝鮮人強制動員の題で、沖縄戦に動員された朝鮮人の数、朝鮮人死亡者の調査、朝鮮人遺骨の返還について話します。最後に、韓国の徴用工判決についてもふれたいと思います。

 

1 朝鮮人強制動員とは

はじめに朝鮮人の強制動員とは何かということです。日本の侵略戦争の拡大により、総力戦体制がとられ、国家総動員が制定されました。その下で労務動員計画が立てられ、朝鮮半島から日本へと朝鮮人を労務動員することになったのです。

この動員は、1939年からは「募集」、42年からは「官斡旋」、44年からは「徴用」の形ですすめられました。朝鮮から日本への動員数は約80万人になります。また、43年末に軍需会社法をつくり、44年には軍需会社を指定し、そこで働く人びとを軍需徴用しました。

沖縄への労務動員数は、労務動員の統計表である「労務動員関係朝鮮人移住状況調」1943年末現在(『種村氏警察参考資料第110集』)や「昭和19年度新規移入朝鮮人労務者事業場別数調」1944年度予定数(同資料第98集』)では0であり、「特高月報」などの統計表でも0です。

中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」では、慶良鉱山(座間味・屋嘉比島 久場島)に100人の動員予定(1942年)とされています。しかし、実際には労務動員ではない形で募集され、充てられたのかもしれません。西表炭鉱での朝鮮人労働の記事もありますから、この時期、沖縄の炭鉱で働いていた朝鮮人がいたことは事実です。

軍務動員では、軍人では38年から志願兵、44年からは徴兵による朝鮮人の動員がなされ、軍属では、軍要員として工員、傭人、軍夫などの名で徴用されました。軍や事業所関係では「慰安婦」として動員された朝鮮人もいました。軍務動員ではアジア各地に約37万人が動員されました。

 

2 沖縄への朝鮮人の強制動員

沖縄への朝鮮人動員の特徴は沖縄戦にむけての軍務での動員が主です。とくに軍属(工員、傭人、軍夫)としての動員です。陸軍では特設水上勤務中隊や防衛築城隊、海軍では佐世保施設部から沖縄根拠地隊や設営隊員として動員されています。陸海軍の徴用船にも朝鮮人船員がいました。かれらは軍属として扱われ、沖縄戦での基地建設や軍用輸送を強いられました。軍用の労務者とされ、戦場での労働を強いられたのです。

沖縄では軍の飛行場工事が、読谷、嘉手納、小禄、糸満、伊江島、宮古、石垣などでおこなわれました。この工事は陸軍の設定隊、築城隊、海軍の設営隊などが担いましたが、部隊に朝鮮人が動員されていたものがあります。その工事の下請けとなった土建会社に朝鮮人が組み込まれていたこともありました。

特攻基地工事は、運天、読谷、屋嘉、金武、北谷、狩俣(宮古島)、宮良・川平(石垣島)、慶留間、座間味、渡嘉敷、西表などですすめられましたが、工事を担った特設水上勤務中隊や海軍設営隊に、朝鮮人が動員されていました。水勤隊の主力は朝鮮人でした。

 那覇、名護、本部などの港湾や運送といった兵站作業にも水勤隊が動員されました。

朝鮮人軍人としての動員をみれば、歩兵連隊、航空部隊などに朝鮮人がいました。その数は少数でした。

日本軍は軍「慰安婦」を各地に配置しましたが、130か所が確認されています。慰安所には朝鮮人も動員されました。資料や証言などで朝鮮人慰安婦の動員が確認できるところは50か所ほどになります。動員場所は沖縄本島では、川田、具志川、嘉数、津嘉山、知念、大里、糸数壕、外間、知念、喜屋武、波平、那覇、首里、仲間、西原、下勢頭、嘉手納、読谷、本部、安慶名などであり、伊江島、石垣島、宮古島、沖大東島、小浜島、渡嘉敷島、西表島などにも動員されました。慰安婦を船で輸送中に攻撃され、沈没したケースもあります。朝鮮人の慰安婦の動員数は不明ですが、数多くの人びとが被害にあったのです。

 

3 陸海軍の名簿からみた沖縄への動員

それでは沖縄に動員された部隊のうち、朝鮮人の軍人軍属がいた部隊についてみてみましょう。わたしは日本政府から韓国政府に渡された朝鮮人の軍人軍属名簿を2010年に韓国強制動員委員会で閲覧する機会がありました。

陸軍の留守名簿

陸軍からみてみます。陸軍の留守名簿には沖縄への朝鮮人の動員を示すものがありました。

留守名簿465 航空部隊「第三航空軍(南西)第四航空軍(比島)第六飛行師団(濠北)第31軍(中部太平洋)第32軍(沖縄)留守名簿」は航空軍への動員を示すものです。動員された主な部隊と身分をみれば、第1独立整備隊25人、第2独立整備隊19人、第3独立整備隊28人、身分は軍属工員。中央航路部沖縄管区5人、身分は傭人の通信手。第17船舶航空廠9人、身分は工員、雇員などの軍属です。

留守名簿495「船舶軍(沖縄)留守名簿」は船舶関係の名簿です。特設水上勤務第101102103104中隊の計2800人があります。これらの人びとは慶尚北道から集団連行されています。海上挺身基地第27大隊148人は101中隊の一部です。行方不明者が多いことが特徴です。ほかに第7野戦船舶廠沖縄支廠11人などがあります。

留守名簿503島嶼・島嶼軍留守名簿」には第32軍関係の名簿があり、歩兵第3連隊13人、第32軍司令部防衛築城隊91人、第32軍防衛築城隊第4中隊36人、第5中隊33人、歩兵89連隊12人などがあります。32軍防衛築城隊は関東軍からの転入です。

この3冊以外に、陸軍徴用船に乗っていた朝鮮人軍属の名簿があります。

厚生省援護局業務第1課調査資料室に保管されていた留守名簿が、近年、国立公文書館(つくば分館)に移管され、審査を経て公開されるようになりました。(厚労省「戦没者等援護関係資料の国立公文書館への移管について」)。これらの留守名簿は韓国に渡された朝鮮人分の名簿とは別の物です。水上勤務中隊の名簿では、赤字で「朝鮮」印が押してあるものもあります。

 

陸軍留守名簿・沖縄配置部隊(留守名簿・朝鮮人分から作成)

 

部隊名

人数

名簿番号

 

部隊名

人数

名簿番号

1

28師団司令部

1

503

28

62師団独立歩兵第22大隊

1

503

2

歩兵第3連隊

13

503

29

62師団独立歩兵第23大隊

1

503

3

28師団通信隊

2

503

30

62師団防疫給水部

1

503

4

独立混成第45旅団司令部

3

503

31

7野戦船舶廠沖縄支庁

11

495

5

32軍防衛築城隊第4中隊

36

503

32

船舶工兵第23連隊

2

495

6

32軍防衛築城隊第5中隊

33

503

33

船舶工兵第26連隊

7

495

7

陸上勤務第71中隊

1

503

34

海上挺身基地第4大隊

2

495

8

32軍司令部防衛築城隊

91

503

35

海上挺身第2戦隊

1

495

9

独立工兵第66大隊

9

503

36

海上挺身第3戦隊

1

495

10

戦車27連隊

3

503

37

海上挺身第26戦隊

1

495

11

32軍貨物廠

2

503

38

海上挺身基地第27大隊

154

495

12

32軍野戦兵器廠

1

503

39

特設水上勤務第101中隊

581

495

13

野戦高射砲第80大隊

1

503

40

特設水上勤務第102中隊

715

495

14

野戦高射砲第81大隊

2

503

41

特設水上勤務第103中隊

691

495

15

独立重砲兵第100大隊

1

503

42

特設水上勤務第104中隊

675

495

16

輜重兵第28連隊

6

503

43

19航空地区司令部

1

465

17

歩兵第22連隊

6

503

44

69飛行場大隊

1

465

18

歩兵第32連隊

9

503

45

21航空通信連隊

1

465

19

歩兵第89連隊

12

503

46

32軍航空情報隊

2

465

20

24師団制毒隊

8

503

47

中央航空路部沖縄管区

5

465

21

28師団歩兵第30連隊

1

503

48

1独立整備隊

25

465

22

騎兵第28連隊

1

503

49

2独立整備隊

19

465

23

62師団独立歩兵第11大隊

2

503

50

3独立整備隊

28

465

24

62師団独立歩兵第12大隊

4

503

51

118独立整備隊

1

465

25

62師団独立歩兵第14大隊

1

503

52

5野戦航空修理廠石垣戦闘修理班

1

465

26

62師団独立歩兵第15大隊

2

503

53

17船舶航空廠

9

465

27

62師団独立歩兵第21大隊

2

503

54

1陸軍航空技術研究所

1

465

                 (竹内『戦時朝鮮人強制労働調査資料集2』所収の表から作成・訂正加筆)

このように陸軍留守名簿から朝鮮人動員者3191人が判明します。

特設水上勤務中隊

特設水上勤務第101102103104中隊への動員が最大です。19446月に国民徴用令により、軍要員として慶尚北道各地で徴発しました。101中隊は達城、永川、漆谷、金泉郡、102中隊は清慶州、義城、安東、栄州、奉化、金泉、103中隊は慶山、青松、盈徳、迎日、英陽、尚州、104中隊 醴泉、善山、奉化、聞慶、星州、高霊、軍威からから動員し、その数は約2800人になりました。

動員された人びとの心情は、「父母兄弟と生き別れ、日本人の奴隷として連行された」「日本人に生死もわからない所に連行される」「徴発されないように隠れていたが、巡査に見つかった時、もう生きてはおれないと思った」「亡国の一百姓として、他国の奴隷になったのが悲しかった」「もう生きては帰れない」というものでした(『恨 朝鮮人軍プの沖縄戦』116〜121頁)。

これらの水上勤務中隊は19447月に第32軍に編入され、8月沖縄へと移動しました。その際、第101中隊は宮古・石垣に移動しました。第102中隊は奄美・徳之島から川田・名護に移動し、首里への運搬を担いました。さらに南部へと移動し、山城で壊滅しました。第103中隊は那覇から阿嘉・座間味・慶留間などに移動しました。第104中隊は読谷・本部から那覇に移動し、さらに南部へとすすみましたが、新垣で壊滅しました。第104中隊のうち、1小隊は渡嘉敷に動員されています

監視され、長時間の過酷な労働を強いられ、阿嘉・渡嘉敷では処刑された朝鮮人軍属もいます。

死亡場所をみれば、第103中隊は441010日空襲で那覇の崇元寺、松川などで死亡した人がいます。第101中隊では、45年3月1日の平良港での揚陸作業中、米軍艦載機の攻撃をうけ、60人ほどが死亡しています。

米軍の第6海兵隊の史料では、捕虜になった水勤隊員は410人です。これに101中隊生存者を加えたものが帰国したとみられます。名簿ではいまも死亡推定のままです。水勤隊では1500人を超える朝鮮人が死亡したとみられます。

水勤隊以外の朝鮮人の多い部隊での動員状況をみてみましょう。出身地から集団動員の状況が判明するものもあります。

防衛築城隊

沖縄での飛行場建設や陣地構築に動員された第32軍防衛築城隊の死亡者では60人ほどがわかります。この死亡者名簿から45年5月から6月にかけて、首里、真和志、糸満、摩文仁などの激戦地で死亡したことがわかります。朝鮮半島全土から連行されていますが、黄海信川・長渕、京畿開城・水原、慶南蔚山・釜山・東莱・晋州、忠南公州などからの連行が多く、慶南の釜山からの連行者が多く亡くなっています。

歩兵第223289連隊には黄海出身者が充てられています。これらは448月に満洲n関東軍から転送された部隊です。独立工兵第66大隊については6人の死者がわかります、首里方面で亡くなっています。

航空軍

航空軍では、第5野戦航空修理廠は第1から第3までの独立整備隊で編成されていますが、7人の死亡がわかります。出身は皆、朝鮮北部であり、死亡地は首里、南風原、宮古などです。第4航空軍の隷下にあった第17船舶航空廠の死者は9人あり、平安南道の出身です。死亡年月は44年1月であり、南方への輸送途上の死亡とみられます。自爆攻撃である特別攻撃隊に編入されて死を強いられた朝鮮人もいます。

船舶部隊

陸軍の船舶輸送司令部には多くの船舶が徴用されていました。そこに朝鮮人の船員もいました。船舶部隊の下にあった第7野戦船舶廠では9人の死者がわかります。多くが5月10日に浦添の前田で死亡しています。船舶工兵第26連隊では5人の死がわかります。3人が咸南出身です。45年5月から6月にかけて嘉手納、座間味、南風原などで死亡しています。捕虜の証言では、第7野戦船舶廠は大阪などの在日が多かったとされていますが、名簿では少数です。

沖縄での徴用船についてみれば、朝鮮人船員の死者が出た船は以下のようになります(「戦没船員調査表」朝鮮人分)

陸軍船舶司令部関係では、東泰丸、柏丸、春日丸、興順丸、清進丸、祥新丸、瑞祥丸、8竹丸、玉鉾丸、29垂水丸、3筑紫丸、南京丸、南陽丸、11大和丸、旭丸、海州丸、経運丸、鳥海丸、民祐丸、洋島丸。

海軍警備隊・海軍輸送隊関係では、17護国丸、江竜丸、3大里丸、38興安丸、62興安丸、興東丸、3呉羽丸、慶山丸、興亜丸、40興産丸、77興隆丸、大仁丸、22大漁丸、16千歳丸、東亜丸、日安丸、5昇運丸、68播州丸、2焼津山丸、5八代丸、和神丸、5北新丸、2辰丸、2春光丸。陸海軍の所属不明の船としては、大海丸、一心丸、馬来丸、泰仁丸、玉嶺丸などがあります。

441010日の那覇空襲に関連する朝鮮人死者もいます。那覇付近では北新丸、柏丸、春日丸、大海丸、南陽丸の乗船者が死亡しています。

海軍の身上調査票 

つぎに海軍での朝鮮人の動員状況をみてみます。長崎県の佐世保施設部に動員された朝鮮人の国内での派遣状況はつぎの表のようになります(「旧海軍軍属身上調査表」)。

「旧海軍軍属配置現況(日本地域内分布)」

部隊名

所在地

佐世保への動員数

佐世保からの派遣先・人数

佐世保施設部

佐世保

4,265

佐世保1940、川棚1206、大村411、沖縄1ほか

佐世保施設部(鹿屋支部)

佐世保
(鹿屋)

3,503

鹿屋2689、国分206、奄美2、種子島151、南九州8ほか

226設営隊

佐世保

49

沖縄49        (佐世保編成)

227設営隊

佐世保

2

奄美大島1、沖縄1  (佐世保編成)

228設営隊

佐世保

135

奄美大島135     (佐世保編成)

佐世保運輸部

佐世保

28

沖縄26ほか

佐世保軍需部

佐世保

13

佐世保12、沖縄1

21航空廠

大村

342

大村333、沖縄4ほか

佐世保防備隊

佐世保

8

内地1、沖縄4、奄美3

沖縄根拠地隊

沖縄本島

43

船舶27、輸送隊16

(韓国・強制動員委員会提供資料2012年から作成、竹内「調査・朝鮮人強制労働B」所収の表から作成)

 

この表から、佐世保施設部から沖縄方面に動員された朝鮮人軍属421人が判明します(奄美・種子島を含む)。

動員された部隊では、海軍第226設営隊員の死亡が多く、36人を確認できます。第226設営隊はサイパンや沖縄での陣地構築に動員された部隊であり、生存者が少なかった部隊です。この設営隊は小禄飛行場近くに作られた海軍司令部壕などの陣地構築をしています。壕の掘削が本格化したのは4410月の那覇空襲後であり、壕は12月には完成したといいます。

45年6月3日から10日間、激しい戦闘がおこなわれ、海軍第226設営隊の朝鮮人は多くが小禄で亡くなり、ほとんどが45年6月13日に死亡とされています。出身は全北金堤・沃溝、慶南陝川などであり、全北や慶南からの連行が多かったことがわかります。第226設営隊は移動途中の44年5月5日に、本州南東で攻撃を受けて多数の死者を出しました。そこにも朝鮮人の死者が数多くいます(「被徴用死亡者連名簿」)。

沖縄根拠地司令部関連部隊にも多くの朝鮮人が連行されました。死亡が判明しているのは22人であり、死亡地は豊見城、死亡日は45年6月14日です。海軍司令部壕付近の攻防戦の中での死亡です。全北鎮安、慶北安東、善山、全南莞島などの出身が多く、全北や慶北を中心に各地から連行されたことがわかります。戦後、海軍地下壕関連の遺骨収集で2000体以上が発掘されていますが、そのなかには朝鮮人の遺骨もあったのです。

 このように陸海軍の名簿から、3600人ほどの沖縄方面(奄美・種子島を含む)への動員者を確認できます。

 

4 死亡者調査からみた動員

 「戦時朝鮮人強制労働調査資料集1」では、氏名と配属先が判明するもので、約440人を確認しました。主な部隊は、陸軍では、徴用船、特設水上勤務101104中隊、船舶工兵第26連隊、32軍防衛築城隊、独立工兵66大隊、歩兵連隊、独立歩兵大隊、戦車27連隊、第5野戦航空廠、第7船舶航空廠、独立整備隊、第6航空軍振武隊、飛行戦隊などがあり、海軍では徴用船、運輸部、沖縄根拠地隊、第226設営隊などです。現時点で、徴用船での動員者調査は死亡者のみです。今後の名簿調査が必要です。

沖本富貴子さんの留守名簿調査で、「戦時朝鮮人強制労働調査資料集1」で示したものに加え、水勤隊員約170人、捕虜収容所死者7人の追加分が判明しています。それにより、氏名・部隊名などが判明する朝鮮人死亡者数は600人ほどになります(この報告の資料として添付)。

先にあげた、留守名簿と海軍個票(佐世保)の3600人には、徴用船での死者が含まれていません。徴用船での沖縄関係での死者は調査によって約100人が判明します。それを加えれば、氏名と動員先が判明する動員された朝鮮人は約3700人となります。ほかに興西丸、八光丸、慶山丸、佐世保運輸部など、九州南方・奄美方面での沈没船の死者は約50人ですが、これらも追加した方がいいのかもしれません。

平和の礎に刻銘された朝鮮人名は2017年に15人が追加されて462人となり、さらに19年にも刻銘されています。平和の礎には氏名しか記されず、部隊名・住所などは未記載です。作成した死亡者名簿と照合しましたが、部隊などが判明しないものが200人ほど残っています。

韓国強制動員委員会資料(201512月)では、沖縄戦の被害申告数は2644人(軍人171、軍属2146、労務326、慰安婦1)、うち、死亡が517、行方不明が157、生還が1919、後遺症が51です。遺骨では、奉還とするものが53、遺骨以外が13ですが、不詳が391、未返還が60となっています。委員会の調査で把握された死亡者のうち、300人ほどが平和の礎に刻銘されていないとみられます。

韓国の委員会調査では、動員者の氏名が判明しています。韓国側はこの調査資料を公開すべきです。沖縄県の平和の礎関係資料も公開されるべきです。照合する必要があります。

追悼とは、だれが、いつ、どこで、どのような状況で亡くなったのか、その具体的な史実をふまえてなされるべきと考えます。沖縄での連行と死亡の状況についても、より具体的に実相が明らかにされるべきです。

 

5 米軍捕虜資料からみた動員と帰還

ここで保坂廣志さんが書かれた『沖縄戦捕虜の証言』の下巻の第7章「朝鮮軍夫と沖縄戦」を参考に、捕虜になった朝鮮人の状況についてみてみます。

この本は、米軍の捕虜への尋問調書を利用していますが、野戦高射砲第80大隊、第102水勤隊(56飛行場大隊)、第104水勤隊、第32軍防衛築城隊、第7船舶輸送司令部、工兵第60連隊、第7野戦船舶廠、海軍軍需部などに所属する朝鮮人で捕虜となった人びとがいたことがわかります。

米軍第6海兵隊関係での朝鮮人捕虜の数は、1945年6月28日現在で、第32軍司令部1662師団通信隊1、歩兵第32連隊1、歩兵第64旅団5、独立歩兵第15大隊1、独立歩兵第22大隊2、特設第6連隊5、第1船舶輸送司令部4、第7船舶輸送司令部3,第11船舶団司令部6、第23船舶工兵1、第102水勤隊384,第104水勤隊26、海軍根拠地隊6、海軍第226設営隊(山根部隊)9、「福岡隊」1、軍派遣民間人11です。

102水勤隊では384人の捕虜が存在とされています。第102水勤隊の動員者の半数以上が生存したことになります。

捕虜の証言からは、第7船舶輸送司令部、第7野戦船舶廠、海軍輸送部隊などにも朝鮮人の集団的な動員があったとみられます。これらの部隊の名簿の調査が必要です。

捕虜になった朝鮮人は米軍によって帰還することになりました。その状況もこの本では分析されています。

 1946年2月に沖縄本島の屋慶名収容所から釜山へと1600人が帰還しています。別便で、沖縄からハワイへと535人が送られ、ハワイ経由で仁川に帰っています。461月のことです。また、帰還船ゲーブルズに乗り、石垣の205人、宮古の458人が神奈川へと運ばれ、帰国しています。合計すると2798人が帰還したことになります。

朝鮮人のハワイ収容所や沖縄から朝鮮への乗船者の名簿があります。その分析が求められます。名簿は英文ですが、入力し、ハワイ収容所名簿や朝鮮人軍人軍属名簿と照合すれば、生死の状況が判明するでしょう。

最後に戦場で生還した朝鮮人の例を見てみます。

 文サンチョは22歳であり、慶南出身でした。文は中央大学在学中に志願を強制され、京都の工兵第53連隊に動員され、そこから独立工兵第66大隊に転属させられ、449月に沖縄に送られました。

 文は朝鮮で日本の朝鮮支配に憤慨し、独立運動に参加したといいます。米軍ビラをたえず目にし、機会があれば投降したいと考えていました。糸満の大里から南部の米須への伝令となった際に脱走し、611日、八重瀬岳の北側、世名城で自主的に投降しました。

 保坂さんは生存者の証言から、生命保持、軍隊嫌悪に加え、解放後の新社会への展望、社会的使命が存在したことを示しています。それが生還の絆となったのです。

 

6 彦山丸の朝鮮人遺骨

つぎに、朝鮮人遺骨についてみます。返還されていない朝鮮人遺骨は、植民地支配下での棄民と強制動員、その後も継続している植民地主義の歴史を象徴するものです。ここでは沖縄戦関連の遺骨についてみます。

2017年、本部町の健堅で沖縄戦に動員された朝鮮人の軍属遺骨の埋葬地が判明しました。アメリカの雑誌に掲載された写真に、墓標が映っていたのです。この墓標は、1945122日に徴用船の彦山丸が攻撃され、14人が死亡したときのものです。そのうち2人が朝鮮人であり、名前が金萬斗、明長模であることがわかりました。もうひとり、半田充祇については、徴用船の死亡者名簿では朝鮮人とされていますが、日本人の可能性があります。

20197月には、「沖縄県本部町健堅の遺骨を故郷に返す会」が発足し、遺骨発掘に向けての活動がはじまりました。この二人は日本軍の軍属であり、この遺骨の返還の責任は日本政府にあります。

市民による遺骨返還の動きについてみれば、20181月に、これまで遺骨の発掘や返還に関わってきた日本の宗教者と市民により、遺骨奉還宗教者市民連絡会が発足しています。日本政府が積極的に遺骨の返還をおこなわない中で、この状況を打開し、市民の側から国境を越えた運動を呼びかけたのです。20185月には、厚労省が埼玉の金乗院で保管してきた対馬・壱岐の遺骨が、壱岐の天徳寺に移管されました。

日本の国平寺や統国寺にあった遺骨が韓国に返還されるという動きもありました。しかし、この返還ではすべてが徴用者の遺骨とされています。徴用者等とすべきでしょう。真相究明なしの韓国への移送であってはなりません。遺骨返還が政治の宣伝材料とされる危険性があります。真相究明がなされ、遺族の元に返すという原則が確認されるべきです。

20155月、日本政府は戦没者遺骨収集で、今後発見された遺骨に関してはDNAを抽出し、データベースを作り、遺族からもDNAをとる方針を示しました。沖縄では、沖縄戦及び海外戦没者のDNA鑑定の集団申請がなされました。2019年7月現在で約700人が申請しています。厚労省は大腿骨など手足からの鑑定も行うことを表明していますが、朝鮮人の遺骨への対応も必要です。シベリア、フィリピンからの返還ではニセの遺骨であることが明らかになっています。南洋のタラワでは、朝鮮人の遺骨を韓国に返還するという動きがあり、遺族184人から遺伝子情報が収集されています。    

遺骨の返還では、日韓両政府による遺骨の返還にむけての再協議が必要です。その基本は、遺骨を故郷に帰すではなく、遺族に返還するとすべきです。また、遺骨の歴史を説明できるように調査することも大切です。すべてが強制動員被害者のものではないのです。名称を含め、正確な遺骨返還事業が必要です。その際には、遺族の意向や現地の市民団体の主体性を尊重することが大切です。遺骨の政治利用や偽りの返還をさせないよう留意すべきです。また、北の朝鮮政府とも遺骨返還にむけて協議をすすめることが求められます。

 

7 韓国徴用工判決と強制動員問題の解決

201810月の韓国大法院の判決は、強制動員を、日本の不法な植民地支配や侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的不法行為とみなし、強制動員被害に対する慰謝料の賠償請求権を認めました。強制動員慰謝料請求権が確定したのです。

しかし、安倍政権は、強制労働はない、旧朝鮮半島出身労働者の問題とし、判決を国際法違反でありえないもの、日韓関係の土台を崩すものなどとし、対抗しての経済措置をおこなうようになりました。企業と被害者との自主的な和解に介入しています。韓国の政府の対応を非難し、韓国側を加害者のようにみなし、自らを被害者のように扱っています。

そこには、植民地支配を合法とする歴史観があり、強制動員被害者の尊厳を回復するという視点がありません。

問題解決に向けて、強制動員慰謝料請求権の確定をふまえて対応すべきです。日韓の友好は日本が植民地責任をとることからはじまります。日本政府は韓国の司法判断への批判を止め、植民地支配の不法性を認め、その下での強制動員(強制労働)の事実を認知すべきです。

強制動員の歴史を継承する日本企業は、その事実を認知し、日韓政府とともに解決に向けて、共同の作業へ。被害者賠償に応じ、和解をすすめるできなのです。この問題の包括的解決に向け、日韓共同での財団・賠償基金を設立することも必要です。

過去の清算、強制動員問題をはじめ植民地責任をとろうとする真摯な取り組みが、信頼を生み、北東アジアの平和と人権への構築となるでしょう。「解決済み」論は、権力の側が植民地責任の回避をねらうものです。被害者の尊厳回復を第一とすべきなのです。

無縁を強いられた遺骨の歴史に思いを馳せ、その声なき声を聞く姿勢が必要だと思います。強制動員の歴史の現場は、平和友好の場にすることができます。沖縄の「恨之碑」はその拠点です。

 

参考文献

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「旧海軍軍属身上調査表」(佐世保施設部分)

「ハワイ韓人捕虜収容所名簿」194512

「軍属船員名票」

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「戦没船員調査表」(朝鮮人分)

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「昭和19年度新規移入朝鮮人労務者事業場別数調」(『同資料第98集』)

中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」1942

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古賀徳子「沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開」14『戦争責任研究』6063200809

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?伸『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』インパクト出版会2016

『沖縄県史 各論編6沖縄戦』沖縄県教育委員会2017

沖本富貴子「沖縄戦に動員された朝鮮人に関する一考察 特設水上勤務隊を中心に」『地域研究』20沖縄大学地域研究所2017

沖本富貴子「沖縄戦の朝鮮人」『地域研究』21同研究所2018

沖本富貴子「沖縄戦で軍人軍属に動員された朝鮮の若者」『第11回強制動員真相究明全国研究集会・沖縄』集会資料集、強制動員真相究明ネットワーク2018

沖本富貴子「特設水上勤務隊等、留守名簿・死亡者調査資料」(2019年提供資料)

『「沖縄県本部町健堅の遺骨を故郷に返す会」発足と記念講演会・資料集』沖縄県本部町健堅の遺骨を故郷に返す会2019

竹内「朝鮮人関係追悼碑の調査」『季刊戦争責任研究』68 2010年、「連行期朝鮮人死亡者名簿・沖縄分」掲載

竹内『戦時朝鮮人強制労働調査資料集 増補改訂版 連行先一覧・全国地図・死亡者名簿』神戸学生青年センター出版部2015

竹内『戦時朝鮮人強制労働調査資料集2 名簿・未払い金・動員数・遺骨・過去清算』同出版部2012

竹内『調査・朝鮮人強制労働B 発電工事・軍事基地編』社会評論社2014

竹内「日本内朝鮮人強制動員犠牲者の実態と遺骨問題」『日帝強占期朝鮮人動員犠牲者遺骨問題』日帝強制動員被害者支援財団・韓国20185

 

沖縄戦関係・朝鮮人死亡者名簿
(略)